「カスタマーファースト」の精神を培えた
〈取引先だった病院の総務課長〉
――株式会社MACオフィスが提供する独自の「賃貸オフィスコンサルティング事業」が 高く評価されていますね。
ありがたいことに、多くのクライアントから評価の声をいただいています。
単にオフィス物件を紹介するだけでなく、「どのようなオフィスなら従業員のみなさんの生産性があがるか」「M&Aや働き方改革に伴って今後の事業計画を考えた場合、最適なオフィスとはどういうものか」など、企業成長における「オフィス戦略」の視点を重視したコンサルティング内容に、満足していただけているようです。
当社は2009年に東京へ進出しましたが、もともとは大阪で私が26歳のときに継いだ「家業」が発祥で、
業態は小中学校の近くにある「小さな文具店」でした。
私が継いだのは1996年なので、東京進出までの13年間、大阪での様々な経験がいまの会社の起源となっています。
そこには、忘れられない3名の方々との「出会い」がありました。
――詳しく教えてください。
まずは、大阪のある大きな病院の総務課長です。
私は大学卒業後に就職したシステムメーカーで約2年半営業職を経験したのち、家業を継ぎました。
まさに「家族経営」のような小さな会社で、とにかく販路開拓のためにいろんな法人へ「飛び込み営業」を行いました。
取り扱う商品もOA機器やオフィス家具にまで広げ、苦労の甲斐あって複数の「大口顧客」を獲得できました。
その1つがこの病院でした。
その総務課長は出入り業者の窓口となってくれていた人で、取引を始めてから数ヵ月たったあるとき、
「事務室を働きやすくしたいのだけど、いいアイデアはないかな」という相談をもらいました。
当時は様々なオフィス家具も取り扱っていたため、普通なら機能性の高い家具などを提案するのでしょうが、私は違いました。
――なにをしたのですか。
私なりに考えた、「働きやすい執務室」のレイアウト図面をつくったうえで、家具の提案をしてみたのです。
「大したことではない」と思われるかもしれませんが、総務課長が「すごくイメージしやすい」と喜んでくれたのをいまでも覚えています。
このとき、「ピン」ときましたね。
レイアウト図面で実際に働くシーンを想像してもらえたので、新たな家具の有用性も認知してもらえたのだと。
この「図面作成」は、家具を提案するうえで大きな武器になると考えました。私は、デザインや絵の勉強をしたことがなかったため、それほど大した内容の図面が書けるわけではありませんでしたが、当時、こうしたレイアウト図面をもとに提案する家具メーカーは少なく、非常に珍しがられましたね。
――「オフィス提案」という意味で、まさに、現在の事業の原型だと。
そう思います。そしてなにより、ビジネスにおいては「プラスアルファの提案」が、大きな成果につながることに気づかされましたね。
お客様は、期待値の「100%以上」で、ようやく満足感を感じるものです。
このときは、「レイアウト図面」が「100%以上」の要素となりました。
私が20代で様々なことを吸収していた時期に、この大切さに気づかせてもらえたことは、まさに「大きな財産」でした。
この考え方は、会社の規模が大きくなったいまも変わらず根底にあるもので、「お客様が欲しいと思っているものを、お客様が想像もしない形で提供する」という「カスタマーファースト」の精神を、会社の「バリュー」の1つに定めています。
大きな成長を遂げる「ツール」を獲得できた
〈ホームページ制作会社の社長〉
――ビジネスのうえで大切な考え方に気づくきっかけとなった「レイアウト図面の作成」ですが、その後、事業をどのように伸ばしていったのですか。
「無料でオフィスレイアウトの変更図面を作成します」ということを売りにした営業にシフトしました。
先ほどの総務課長と同様に、多くの方々から「イメージしやすい」と好評でしたが、1つ問題がありました。
「営業効率の悪さ」です。
というのも、当社は大阪の郊外エリアにあったため、オフィスが集積する都心エリアへ営業する際の移動時間に大きなロスが生まれていたのです。
「なんとかならないか」と考えていたころ、大きな出会いがありました。
――どなたとの出会いですか。
ホームページ制作会社の社長です。1998年のことでした。
いまでこそ「生活に不可欠なインフラ」であるインターネットですが、当時はまさしく「黎明期」でした。
その社長とは異業種交流会で知り合ったのですが、その社長から、「集客におけるスーパーセールスマンを一人採用するのと、同じくらいの価値がある」と熱く語られました。
じつは私自身が「ホームページの効果」に対しては半信半疑で、当時は黎明期だったこともあり値段も高く、制作に「100万円かかる」と。
それでも、ホームページで集客できるようになれば「営業効率の悪さ」が解決できるという期待が勝り、思い切ってこの社長にホームページの制作をお願いすることにしたのです。
――結果はどうだったのですか。
一言でいえば、「大成功」でした。
当時、ホームページをもつ会社はまだまだ少なく、SEO対策などしなくても、検索結果が自然と上位表示されました。
そのため、大企業からも「おもしろい取り組みをしているみたいですね」といった問い合わせが入るなど、仕事がどんどん入る状態になりました。
ある意味、「先行者利益」のようなものでしたが、数年後に競合会社がホームページをもつような状況になったときには、「オフィス移転マニュアル」など、さまざまな内容の独自コンテンツを掲載するなどして、集客で常にリードしている状態でした。
――まさに、ホームページが大きな成長を遂げるツールになったのですね。
そうですね。
「家具販売」よりも、「レイアウト図面」に対する反響が大きかったため、その後は徐々に事業の軸を「オフィス提案」へとシフトしていきました。
いま、「ホームページ」は当たり前のものですが、当時は少し大げさにいえば「未知のもの」でした。
それでも、私に強く薦めてくれた社長には感謝していますし、そのときに多額の費用をかける「決断」をした私もほめてあげたいです(笑)
現在の当社のホームページも、その会社が制作してくれたものです。長くお付き合いさせていただいています。
仕事上の「信念」を持つことができた
〈新卒入社後、温かく見守ってくれた上司〉
――冒頭、3名の方々との「出会い」があったとおっしゃっていました。もう一人はどなたですか。
私は先ほど、「大学卒業後にシステムメーカーで約2年半営業職を経験した」と言いましたが、そのときの上司である課長が最後の一人です。
とにかく「心の広い」上司でした。
実は私は入社から数ヵ月間、同期のなかで営業成績が極端に悪く、陰では「給料泥棒」と囁かれていたほどです。
それでもその課長は私を叱責することなく、いつも「今日も頑張れよ」と言って営業に送り出してくれました。
あとから聞いた話ですが、「別に君を怒る必要はなかった」というのです。
――なぜでしょうか。
「君が本当に一生懸命、真面目に営業をしていることは十分わかっていた」と。
だから、「いつか必ず結果は出る」と考えてくれていたようです。
私が言うのもなんですが、確かに一生懸命でしたね。
「こんなに一生懸命なのに、なぜ数字があがらないのだろう」と自分で不思議に思っていたくらいです(笑)
その一生懸命さが通じたのか、課長の言葉通り、徐々に数字は上がっていき、2年目からはトップセールスマンの仲間入りを果たしていました。
数字が上がると給料が上がり、周りの評価も上がる。お客さまからは感謝され、周囲からは頼りにもされる。
自分自身に自信がつきましたし、なにより「仕事の楽しさ」を実感していましたね。
私は、いまでこそそんなことはありませんが、若い頃は偏屈な部分もあったため、数字が上がらないことで叱られたり責められたりしていたら、反抗してすぐに会社を辞めていたかもしれません。
家業を継ぐために、しばらくしてこの会社を退職することになるのですが、私を温かく見守ってくれた課長のおかげで、
「一生懸命、真面目に努力していれば、必ず結果は出る」という、仕事のうえでの「信念」を、若い頃に持つことができました。
私はこの信念を、いまでも貫いています。
――「大阪時代」の様々なエピソードを聞かせていただきました。最後に、今後のビジョンを聞かせてください。
社名の「株式会社MACオフィス」は、「More Advanced Consulting」、すなわち、「よりよい提案をする」という意味から来ています。
これからもお客さまの便益を高める最適なオフィス環境を提案し続けていきますが、そうした高度な提案ができるまでに成長できたのも、
「大阪時代」に出会った方々のおかげだと思っています。
「初心」を忘れることなく、社会の持続的な発展に貢献できる企業を目指し続けます!